随想〜縁は円なり
This is 読売(1996年9月)

人との縁も巡り巡ってまた帰ってくる・・・。

七年前になるが、映画化された「瀬戸内少年野球団」のモニュメントが映画の舞台となった淡路島にできるのを記念して、原作者の阿久悠さんや監督の篠田正治さんら関係者が集まり、シンポジウムが開かれた。そのコーディネーター役を務めたのがご縁で、その後も何度か阿久さんらにお会いしたが、淡路島で育った阿久さんがある時ふとこんなことを言われた。「島という小さな世界を離れて大きく羽ばたきたいと思い、なるべく淡路島から遠くへ遠くへと思って頑張ってきたら、いつの間にか回り回って気が付いたら淡路島に帰っていた。地球は丸かったんだね」と。この言葉が何だかとても微笑ましく思われ、妙に心に残った。

ふとこの頃思うのであるが、人との縁も巡り巡ってまた帰ってくる、そんな気がしてならない。かつて出会い、もう再び会うこともないであろうと思っていた人達と、このところ出会うことがよくある。それぞれ立場や状況は変わっているが、新しい環境での新たな関係がまた始まったりする。
「縁は円なり」といった心境だ。人は一人では生きていけない。様々な人々とつながり、かかわり合い、そうした関係の中で生かされ生きている。

先日、筑波大学助教授の北川高嗣さんの『マルチメディアな風景』という本を読んだが、そこに大変ひかれることが書いてあった。
「本当の満足を感じたときの体験を『美しい体験』と呼ぶことにしよう。この『美しい体験』こそが次世代の社会システムの最重要構成要素である・・・・・いくつか思い浮かべてみれば、それらの『美しい体験』の光景の登場人物が、ほとんどの場合、自分ひとりではないことに気づくであろう。ある時は家族、ある時は友人、または仕事の同僚・・・・。『自分一人の寄せ集め』のみによっては、次世代社会を形成できないことの根拠はここから発生する。」著者は、マルチメディア社会における技術論から入り、次第にその社会が向かうべき本質に迫っている。

以前、あるテレビのレポーターが感性情報処理を研究している大学の研究室を取材して、最後に「果たして、コンピューターはどこまで人間に近づくのでしょうか」とコメントしていたのを聞いて、ちょっと恐ろしさを感じたのを思い出す。果たしてコンピューターを人間に近づけるために開発しているのだろうか。コンピューターはあくまで人間をサポートするツールなのである。マルチメディアな社会は、人類が未だかつて経験したことのないスピードで、私達に大変革をもたらそうとしている。そんな中で、目先の技術のみに目を奪われないで、それらが導くであろう未来の行方を見据えることが大切といえる。

人間には想像力という素晴らしい能力が与えられている。人と人とが出会い、様々な関係のもとに助けあい共創しあう。ことばをもった私達は、それぞれのもつアイディアや情報をコミュニケーションによって共有し、より良い共創へつなげることができるのである。

まあるい地球上にどんどん張り巡らされていくデジタルネットワーク、その本質は人の縁を結びあい、地球を回り回って再び帰ってくる縁(円)ネットだと言える。マルチメディアな社会は、バーチャル上で、あるいはリアルに人と人とが出会い、コラボレーションをする社会。今、私達はその美しい大共創時代の幕開けを迎えたといえないだろうか。